タイトルロゴ

2002年〜2003年に書いたものです。初海外がドイツに14ヶ月とは。博士課程在籍中、海外派遣奨学生として、「学を留めて」プラプラしていたときの話。

【001】ドイツはビザ不要

通常、外国に行くのに必要なものはパスポートとビザですが、「2000年12月15日より、日本国籍者は、如何なる目的であれ(但、ワ−キングホリデ−と外交官の私的使用人は除く)日本でビザを取得して行く必要がなくなり、ドイツに入国後、直接滞在地の外人局で申請することができるようになりました。必要書類は、これまで日本で申請する際に提出していたものに準じます。(ドイツ連邦大使館領事課)」とのこと。ドイツもビザなしで入国できるようになりました。観光など、ビザ(滞在許可)を必要としない滞在目的で入国した場合には、ドイツを含むシェンゲン条約加盟国(ドイツ、フランス、イタリア、ベルギ−、ルクセンブルク、オランダ、オ−ストリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ)に、入国した日から6カ月以内に合計で90日間滞在することができ、合計滞在日数が90日以内であれば、6ヵ月間に何度でも行くことができます。

【002】日本の電気製品を持ち出す場合

海外へ日本の電気製品を持ち出す場合、当然、電圧とプラグの形状等を考慮する必要があります。今回、私が持っていく電気製品はPCのみ。最近のPCはユニバーサル仕様なので、比較的容易に海外で使用できる環境に変更することができます。まず、ドイツの電圧は230Vなので、この電圧にPCが耐えられるかどうか。ACアダプターには「100-240V〜50-60Hz」と書いてあるので、そのまま使用できることになります。これで、アダプターからPC本体までは、ドイツにおいても問題はないということになりますが、壁(プラグ)からアダプターまでは、注意が必要です。日本国内で購入したPCの電源コードは、通常125Vまでしか耐えられません。国内電圧が100Vですから当然ですね。これを、このまま高電圧地帯で使用するとコードが焼き切れる可能性があります。したがって、コードは高電圧用に交換しなければなりません。日本国内のPCショップで売ってます。プラグの形状は、「ドイツ型の円筒状のデカイやつ」か「欧州汎用タイプ」です。コードを交換すれば、「欧州汎用」になっているので、「ドイツ型の円筒状のデカイやつ」は不要でしょう(私は買ってしまった)。長期滞在となればインターネットも不可欠。モデム自体はユニバーサル仕様なのでそのまま使えます(まれに、相性が悪いモデムもあるようです)が、国によってモジュラー形状が異なります。壁からPCまでのコードはそのまま使えるので、モジュラー変換アダプタを挟めばOK。電源コードと一緒に買いましょう。これで海外仕様に変身です。ドイツに関しては、必要なものは現地調達もできます。フランクフルト空港内の売店でも売っているようです(伝聞)。「欧州xカ国対応モジュラーアダプター」なんていうデカイのもあります。プリンタは持って来ませんでした。荷物になりますし、小型のものは結構、高価なので現地調達。基本的にインクジェット式プリンタの場合、フォント(文字)はPC依存なので、PCが日本語環境であれば、海外製のプリンタでも日本語が印刷できます。プリンタを制御するソフトが機能すればいいわけです。このへんの事情はあとで、実際に購入してから報告します。

ちなみに、その他の日本仕様電気製品をどうしても海外で使用したい場合には、変圧器が必要です。小さい割に重いので、「エコノミークラス荷物20kgまで」の飛行機では邪魔な存在です。さらに、ドライヤー等の熱線を使う製品については、また別に専用の変圧器が必要となります。先進国と呼ばれる地域に行く場合には、現地調達のほうがよいかもしれません。

【003】航空券

探せば格安チケットはありますが、ここはドイツということでルフトハンザ機にしました。ANAもJALも直行便があります。成田〜フランクフルト、およそ13時間の旅(日本時間11時発、独逸時間15時着)。フランクフルトから私はさらにボンに向かいます。日本で航空券を買ったときには全行程空路のつもりでしたが、成田での搭乗手続の際、フランクフルト〜ボンは列車での移動であることを告げられ、一瞬「???」。あわてて、空港内の売店で観光ガイドブックを買うことに。どうやら、フランクフルト空港駅というのがあって、そこからボンへ行けるようです。あとで知ったことですが、ルフトハンザの名前で列車も運行しているとのこと。航空券をよく見れば、ちゃんと「ルフトハンザ」の横に「ドイツ鉄道(DB)」と書いてありました。主催旅行(ツアー)もそうですが、手配旅行のときには、しっかり経路を確認しないと。

【004】機内にて

なんか独語会話のテキストのようなタイトルをつけてしまいまいましたが、まさに機内では(機内だけが!)テキストどおりにことがはこびます。ルフトハンザ機には日本人客室乗務員もいますが、私の座席側の通路には来てくれなかったので、早速、ドイツ語の実践となりました。まぁ、単語だけで用はたせますし、ワゴンにある飲み物を指差したって通じますから実践と言う程ではないかな。大きな声で、はっきりと。機内食2回と軽食1回。なお、機内での飲酒は避けました。機内は加圧されているとはいえ、気圧は地上よりも低いので、アルコールを摂取するときは気をつけましょうと言われていわれていたからでなく現地到着時間が15時なので飲む気にならなかっただけ。

【005】フランクフルト空港・税関

日本海上空にて、強風のためスピードがだせない、とのアナウンスがあったものの、ほぼ定刻どおり到着。フランクフルトはこの日(2002年2月2日)、気温が高く、コートを着ていると暑い。早速、税関へ。なにやら前の外国人がもめている。列車の出発時刻まで1時間あるものの、トランクも受取っていないし、駅がどこにあるかもわからないのだ。はやくしてくれと思っていたら、私の番。独語会話や英会話のテキストでは、ここで「なにか申請するものはありますか?」なのだが、「タバコやお酒ある?」だって、具体的。手荷物をあけながら、「どこまで行くの」って言うから「ボンまで」。で、女性係官、パソコンを発見。電気製品の課税額は基本的に係官の気分次第とか。

課税したそうな女性係官と問答をしていると、となりで私のパスポートを閉じかけていた男性係官が、再びパスを見て「日本人だからいいじゃん」って。不服そうな顔の女性係官を尻目に非課税で通過。パソコンに高額の税金を課せられたという話をきいていたから、「切札(研究所の受入証明書)」も用意したあったけど必要ありませんでした。

【006】フランクフルト空港駅〜ボン中央駅

トランク待ち。フランクフルトで飛行機に乗り継ぎの客優先なので、鉄道に乗り継ぐ私の荷物は後回し。受取ったらゲートを抜けて、駅へ。鉄道の表示にしたがって、かなり歩くとホーム。ドイツの鉄道には改札口はないので、直接、列車に乗り込みます。しばらくすると車掌さんがきて、切符を見せてくれ、と。例のルフトハンザ切符を見せると「アレス、クラー!」っと立ち去る。隣の車両に行っても声が聞こえてくるパワフルな人でした。さて、ボンまでは90分だそうな。夕日で真っ赤に染まったライン川、まさに「世界の車窓から」の雰囲気。そうそう、ドイツ鉄道の駅には、次に停まる駅の名前は書いていません(日本では、手前の駅の名前まで表示してあるのに!)。通常、長距離列車の場合、座席に時刻表がおいてあるので、それを見ればいいのですが、このときはありませんでした。景色を眺めながら「そういえば、空港でトランクを開いて検査を受けた記憶がない」な。そうこうしているうちにボン中央駅着。さて、降りましょう。ドアが開かない。「手動」だって。自分でハンドルをひねって、ガコンッ!結構、硬い。もちろん走行中は開きません。新型車両はタッチ式自動ドアですが、まだまだ手動が多いドイツ鉄道。

【007】無難にマクドナルド

ドイツ到着翌日(土曜日)。普段から不規則な生活をしていたから時差ボケなし。ホテルの朝食の時間があるので、早起きせざるを得なかったが、この時期、午前7時は暗闇である。することもないので1時間程かけて、ゆっくり朝食バイキングを楽しんだあと散歩に出る。この日は市内の観光地をひととおりまわって、おしまい。外から見るだけだったけど。

日曜日。昨日と同時刻に朝食を済ませ、散策に。閉店法のため日祝祭日は飲食店以外は閉まっています。まだ、閉店法の条文を見ていないので詳しいことはわかりませんが、駅の中にある本屋等(新聞を扱っているところ?)は開いているようです。そのため連休前ともなるとスーパーは大混雑です。この日は翌日から始まる語学学校の場所を確認に行って、昼食。なれない独語でなんとかなりそうだったので、マクドナルド。第1回の注文は、入口にデカイポスターが貼ってあった「フィッシュマック・スーパーメニュー」。なんと、このメニューは「フィッシュ」の部分が3段重ねができるのです(この時期、日本でもやっていたかは不明)。私は普通のやつにしました。結局、「フィッシュマック・メニュー」と変わらなかったわけです。なお、飲みのもについては、たいてい「コーラ?」って聞かれます。どうしてもコーラを勧めたいのでしょうか。基本、氷はいれないようです。たまに、「氷いれる?」と聞かれます。なお、ビールあります。

【008】ゲーテ・インスティテュート

2ヵ月間語学学校に通いました。いきなり大学に行って研究活動開始というのも不安でしたし、住居を探さねばならないという問題もあっったので、学校の斡旋してくれた部屋に居る間に、新居を探そうというわけ。最初から、授業の最後の2週間を部屋探しに使うことを計画。

私の通った学校はゲーテ・インスティチュート(ボン)。東京にも支店(?)があります。ここで発行される証明書は公的に通用するので、独語圏に留学を考えている場合には利用価値があります。もちろん他にも学校があるのでどこに行くかは自由ですが。筆記試験と口述試験の結果、「中級2」というクラスに放り込まれました。私は8週間コースだったので、最初の4週間は中級1で扱うテキストを使用し、次の4週間は中級2のテキストを使用。4週間ごとに一応のくぎりがあり、次のクラスへすすめるか否かの判断が下されます。なお、私は東京でも夏休みに4週間通いました(2001年5月頃、すでに留学の話があったので)。このときは、下から2番目のクラス、ドイツ国内のゲーテの基準にすると「基礎1後半」にあたるのでしょう。筆記試験はなく、口述試験(面接)を受けて、どのクラスに行きたいかきかれたような。独語会話ははじめてだったので、基礎を希望。かといって一番下は「あ〜、べ〜、つぇ〜」だろうと思いパスしたのでした。ここでもこの選択は大正解。普段、論文等を読んでいると、総じて語彙力はつきますが日常使う語彙はほとんどありません。基本的なものの名前がわからないのです。このコースで「基本的な単語を知らない」ということを知りました。

語学学校(会話学校等含)をいかに利用するかっていう話を中心にあれこれ。授業料を払っているのですから、限られた時間内で最大の効果を引き出したいわけです。ここは私の独断なので苦情は一切受け付けませんよ。しばしば友人に言われたのですが、「なぜ、君のテキストはそんなに綺麗なままなのか?」と。答えは簡単、使わないからです。授業中以外に開くことはめったにありません。テキストにも相性があるというもの。普段は自分で選んだテキストをつかっています。そこで見つけた(身につけた)表現を、授業中に使ってみるわです。使いかた(場面や状況)が間違っていれば訂正してもらえます。「語学力は語彙力である」と考えているので、相性の良いテキストを使ったほうが良い。授業は新しいことを覚える場所ではなく、復習の場所である。また、「言葉が聞き取れない(理解できない)のは、耳がなれていないからだ。」という見解について。まぁ、確かにそれも一理ありますが(実際、私も言い訳に使ってます)、結局のところ語彙力が足りないのです。日本の語学教育は文法中心で会話の経験が少ないから外国語が上達しない、と言われますが、では、そういう教育を受けてきた前の世代の人たちは外国語ができなかったのか?そんなことはないでしょう。 「会話の経験」は必要ですが、それ以前に語彙力が必要。部屋で一人孤独な勉強と居酒屋でのおしゃべりのバランスをうまくとれば、上達は早いんじゃないかなぁ。

【009】薔薇の月曜日

2002年2月11日は「薔薇の月曜日(Rosenmontag)」のためゲーテの授業は休みでした。そこで、ケルンまでカーニバル(仮装行列!?)を見に行くことにしたのです。この時期、各地でカーニバルが催されるのですが、その中でもケルンのそれは最大規模です。派手に飾り付けた車(日でいう山車)の上から、お菓子がバラまかれます。ときにはパンツまで(もちろん新品だと思いますが・・・)。物凄い数の人がいて、歩くのもままならず。本格的な騒ぎになる前に、魔女とトラと一緒に写真をとってもらいました。

ちなみに、薔薇の月曜日、元来は「Rasenmontag(狂騒の月曜日)」でこれが訛って「Rosenmontag」だとか。ロマンティックなイメージなど吹っ飛んでしまいます。実際、謝肉祭の中心日で、まさに「狂騒」の名にふさわしい日です。このカーニバルの期間中、街の人々は朝からゼクト(シャンパン)やビールを飲んでいます。もちろん私も例外なく(酔)。

【010】アムステルダム、日帰り

語学学校の課外プログラムでアムステルダム日帰り格安ツアーに行ってきました。バスで往復7時間のため、滞在時間はほとんどありませんでした。「ドイツんだ?オランダ!」なんていう古典的ギャグを思い出したら、本当に寒くなり、雪まで降ってくる始末。まぁ、2月ですし。

先ずは、「オランダの歴史博物館」か「ゴッホの美術博物館」のいずれかに行くことになってました。私は躊躇なく歴史博物館にしたのですが、なんと、クラスメートはみんな美術館派でした。ここから、ある意味単独行動。おかげで、他のクラスにも友人ができました。ライクス博物館(RIJKS-MUSEUM)。オランダと日本は長い付き合いですから、日本刀も展示してありました。ただし鞘は中国の職人が作ったものだそうで、細工が派手で、なんか日本刀に似合いません。「ここはオランダの植民地だったんだゾ!」と書いてあるところに、日本も含まれていたような気がしましたが。

その後、全員合流し昼食をとるため、中心街に移動。で、自由行動。さすがに美しい街です。ただし!道路を見ないことと、鼻で呼吸をしないこと。道路はゴミだらけですし、下水が氾濫したような匂いです。こんなこと観光ガイドには載ってません。昼食後はオランダ運河を1時間程周遊。小さなボートだったので多少揺れました。よくこんな細い運河を走れるものです。途中、一度では曲がりきれないところもあり、はじめて船の「切り返し」を経験しました。屋根は透明なのでパノラマで景色が満喫できます。運河ですから、道路も見えませんし。なお、アナウンスのテープが流れますが日本語の案内はありません。

で、帰国(?)。そういえば、国境でパスポートを提示していません。シェンゲン条約国間では不要なのでしょうか。

ページトップに戻る

【011】ハノーバー・メッセ、日帰り

台湾人ルームメイトがハノーバーで開かれている産業技術関係見本市「CeBIT」に一緒に行かないか、とのこと。「CeBIT」とはなんぞや、と思ったが行ってみることに。前日、その街のディスコテークでMojo Club Partyに行っていたので、早起きは辛かった。なお、日帰り旅。

ボン(正確にはボンの郊外、ボン・バートゴデスベルク)からハノーバーまではドイツ版新幹線ICEで、3時間程。友人にハノーバアーのどこで開催されているのかきいたところ、「よくわからん」との返事。地図を見ると、メッセという駅があるので、たぶんここだろうと。車掌に確認したところ確かに。ハノーバー中央駅からメッセ行きに乗り換え10分、到着。駅から会場まで歩道橋で直結されてましたが、かなり長いので動く歩道。入場料34ユーロは高いのか?見本市なので、新商品を販売しているわけではありませんが、各企業は自社のロゴがはいった紙袋や風船を配ってました。この「お土産」を収集している人の姿も。ドイツにも「iモード」上陸ということで(e-plusとの提携)、ドコモのブースはにぎわってました。ドイツの携帯事情は、日本に比べて数世代遅れているようで、現在、私の使っている携帯もデカイ・オモイ・モノクロドット画面というシロモノ。電話するだけなら十分です。ショートメール(SMSという)は送れます。こっちらでは、日本のように、携帯電話にモバイルパソコン並みの機能は要求してないのでしょう。考え方の違いですね。

ソニー、NEC、マイクロソフト、ヤマハ(iモードの音源だそうな)といった大企業も参加していましたが、多くは中小企業の技術紹介でした。それも、アジア系の。友人は中国語でなにやら話をしていたようですが、私にはさっぱり理解できません。日本企業のブースでは日本人従業員に英語で「英語か独語で説明しましょか?」なんてきかれたりして。なので「日本語でお願いします」と独語で返事をしてみましたが。結局、6時間、ほとんど歩きっぱなしで閉館時間。容易に予測できたことですが、駅は大混雑です。こういう会場では、ちょっと早めに切り上げるのが基本ですね。

 帰りの電車も当然、満員御礼。幸い私たちは座ることができました。偶然、通路に某日本企業のコンパニオンが立ってました。まぁ、大きな声で「便秘」と「性」のお話。「日本の電車の中じゃこんな話しできないよねぇ」って。ここに日本人が居ますと名乗るわけにもいかず、必死で笑いをこらえてました。壁に耳あり。

【012】ハイデルベルク、日帰り

これもまた、語学学校の課外プログラム日帰り格安ツアー。いや〜、すごいですよ。洪水!Hochwasser(高水?)!川岸の道路が半分水没している。そのため付近を走るバスは運休。自由行動と昼食のあと、現地のおばちゃんのガイドで市内観光。昔から洪水の多いところだそうで、家の壁には、何年にここまで洪水になった、とか書いてある。1873年9m。最近では1993年の被害が大きかったようです。とにかく古い建物が多く、築100年、200年、300年。そんな中、見なれた「M」の文字。マクドナルド。でも、見なれたマックらしくない外観。ガイドの最後はハイデルベルク城を見学ってことで、くねくね長い階段を昇る。この城は、17世紀のオレルアン公相続戦争で破壊されて、その後、城主のカール・フィリップ選帝侯が居城をマンハイムに移したことで、放棄され廃虚となった・・・と観光ガイドに書いてある。街を一望できるが、洪水のためネッカー河は茶色である。観光ガイドに載っている場所は一通り見たことになる。再び自由行動。ヘーゲルもここで思索にふけったという「哲学者の道」に行く。「蛇の道」と呼ばれる小道をクネクネ。観光地図では想像できないくらいキツイ坂道。背丈程の壁に挟まれているから圧迫感もある。学問に王道はなしということか?

【013】ケルン大学留学生課

3月末、私を受け入れてくださった先生からのFAXに従い、大学の留学生課に行く。このとき、留学生課は木・金曜日の午前中しか開いておらず、手続に来た学生で混雑していた。適当に部屋をノックして、先生からのFAXを示し、どこで手続をするのかきいてみるとFrau. Dr. 留学生課を訪ねるようにと。Frau. Dr. 留学生課の部屋では、夏学期の申請は1月で終了したから、申請書を「7月15日までに」提出ししなさい、って。さらに入学許可を申請するにはドイツ語基礎統一試験を「gut」以上の成績でパスするのが最低条件だとか、学生登録するには大学の語学試験を受ける必要があるとかなんとか。ドイツ語基礎統一試験「gut」以上の成績でパスすると、ゲーテの中級2からはじめることになるので、中級2に所属していた私は出願資格はあるのだが。しかし、7月?そこで、先生からのFAXやら奨学金給付証明やら成績証明書やらを提示すると、研究室の助手か秘書に会って、もう一度、留学生課に来るように指示され、Frau. 秘書とHerr. Dr. 助手、Frau. Dr. 留学生課自身の連絡先をメモしてくれました。

後日、研究室に行く。公法行政学研究室は大学直属の研究室なので、本館の中にある。しかしデカイ建物だな。入口を入ると、すぐにインフォメーションがあり、その後ろにはクロークがある。荷物をもって教場にははいられないのかな?ともかく案内所で場所をきいて研究室へ。はて、ドアが3つ。どこから入るんだ?数分立ち止まる(掲示を読んでいたのだ)。すると後ろから「どうしました?」と声が。後に、この人がHerr. Dr. 助手であることが判明する。これまでのいきさつを簡単に説明すると(簡単にしか説明できない、が正しい表現)、あとでFrau. Dr. 留学生課に連絡してくれるとのこと。研究室の図書は自由に使ってよい、と。なおFrau. 秘書は休暇中だそうな。その日は、私の連絡先を教えて終わり。部屋探しも同時進行なのだ。

翌日、メールが。Herr. Dr. 助手からだ。え〜っと、「研究員として研究室を使うのなら特に手続はいらないし、滞在許可も教授からのFAXでたぶん大丈夫。でも学生登録するとメンザでやすく食事ができるし、電車とかバスが無料になるよ。もし、登録したいのなら、必要書類をもってはやくFrau. Dr. 留学生課のところに行ってね。」というようなことが書いてある。必要書類をもってFrau. Dr. 留学生課を訪ねると、申請書に写真を張り付けて終わり。入学許可は住所がまだ未定だから、来週中に研究室に届けてくれるとのこと。いつのまにか、大学の語学試験も免除になってしまった。

さて、あれから2週間、入学許可が届かない。幸い、住む部屋は見つかった。しかし90日の滞在期限ももうすぐ切れる。このままでは不法滞在になってしまうではないか。またまたFrau. Dr. 留学生課を訪ねると、別の部屋にとおされる。そこの職員は書類を見せてくれて、この日に研究室に届けた、と。あれ、申請した日から3日で処理されているではないか。で、なんで届いてないのだ?とりあえず、研究室に行きFrau. 秘書にもう一度きいてみると、別の研究室の方に届いてました。

手続はまだ残っているのです。入学許可をもって、学生課へ(またもや案内所で場所をきく)。夏学期分の共済費を振込むようにいわれる(100ユーロくらい)。授業料はありません。学生証交付の書類を記入しすると、紙の「仮学生証」が交付された。本来ならば、5月15日には正式学生証が送られてくるらしいのだが、私の場合、例外のため6月中旬になるらしい。近郊公共交通機関の乗車券も兼ねているため、有効期限(5月15日)を6月に変更してくれた。ただし、この学生証(乗車券)は身分証明書(パス)と一緒に持っていないと無効である。パスは当然もっているから別にいいんだけど、紙がデカイのだ。これで手続終了。しかし、いまだ教授とはお会いしていないのである。日本で一度会ったきり。

【014】部屋探しの話

部屋を探してくれる友人も紹介してくれる友人がいるわけもなく、自分でこなさねばならないので、当初の予定通り、語学学校の最後2週間の授業は欠席。週末は情報が入らない(このときハイデルベルクに行った)から実質10日余、さらに移動コストを最小にするため、14時以降の移動を優先することを原則とし(ゲーテの生徒は「ジュニア・チケット」という、平日14以降・週末及び学校の休日は終日、ケルン・ボン地区の近郊公共交通機関を利用できる格安の定期券を購入できる:1ヵ月11.50ユーロ)、「前半1週間は、大学の掲示板と新聞で探す、見つからなかった場合、後半は不動産仲介業者を利用」という完璧な計画...結構、アバウトか。

先ずは留学生課の指示に従い、「Studentenwerk」に学生寮の申込みに行く。ここは、ケルン地区のHochschule(ケルン大学、ケルン音大など)の学生の総合サポートセンターといえる。ところが、夏学期開始直前の3月末、学生寮は開いているはずもなく「待機者リスト」に登録しただけで終わり。総学生数84000人に対して学生寮が4600部屋では慢性的部屋不足。民間の住居でよければ掲示板に貼ってある、とのこと。学生寮ならば、私も条件を妥協するが、民間ならばとりあえず、理想を最優先、「アパートメント、家具付き、大学から遠くない(交通の便がよい)」などなど(贅沢)。いくつか条件に合致する物件を見つけ、電話してみるもあえなく撃沈。すでに埋まっている、と。大学の掲示板なんてこんなものだろう。新聞広告も同様に失敗。どうしてもタイムラグが生じるため掲載されているからといって、空いているとは限らないし、学生だけが見ているわけでもない。

仲介手数料節約計画が失敗したので、業者を利用することに。一般に、ドイツは不動産業者は少なく、仲介手数料は高い、と言われる。「仲介」だけであり「代理」はしてくれないようで、契約は本人が直接、家主さんと締結し、契約成立したならば仲介料を支払うシステムのようだ。保証金はあるが、礼金ってヤツはない。保証金は退去時に全額返還され、場合によっては利息がついてくる。留学生課から渡されたプリントには業者の住所も書いてあったので(推薦するものではない、とも書いてあった)、そこを訪ねるが、どうやら短期契約が中心のようだ。長期の物件はないのかときいてみると、「そんなの紹介したら仕事がなくなる」だって。ちなみに、この業者はケルン・ボン地域のほぼ全体を網羅しており、短期契約ならば利用価値がありそうだ(仲介手数料は契約成立時に家賃の25%と毎月15%)。

部屋探しの前に、業者探しをすることになってしまった。ネットで検索するとケルン中心部(シティ)に1件あることが判明。しっかりHPに、所在地・電話番号・仲介手数料・契約約款が記載されており、さらには英語版もあった。これだけ情報があれば、まぁ十分だ。HPに「直接、来てもいいよ」とあったので、そのとおりアポなしで。ドイツの住所はわかりやすい。すべての道路に名前がついているから、地図があればどこにでもいける。ありました、HPにあったシンボルと同じ看板。おばちゃんが明るく迎えてくれて、さっそく登録用紙を記入してくれ、と。どこでも必須の旅券番号と名前、タバコは吸うのか、希望の居住形態は(家具付きアパートメント)、期間は(とりあえず1年)なんてことを記入すると、おばちゃん、奥の部屋でパソコンに入力。「日本の住所って難しいのね」って。しばらくすると、空き部屋リストを持ってきてくれて、「自分で連絡してね」。7件ほど条件に合致する物件があったようだ。候補を3つに絞って第一希望から電話。ジェスチャーでどうにもならない電話はえらく緊張する。部屋は空いているから、明日にでも下見に来てよい、とのこと。この第一希望が現在の住居である。

ケルン・ボン地区で私が見た限りでは、新聞広告はおよそ3〜5行ほどで以下の要素が示されています。 新聞広告でも仲介業者がはいっている場合には、仲介手数料がかかります。 Provisionsfreiは仲介手数料無料を表しています。

【015】契約&引っ越し

部屋の下見に出かける。家賃、広さ、大学からの距離を考えると、ここが最高なのだ。なんとしても契約を成立させねば(そんなに気合いをいれることでもないが)。約束の時間に訪ねると、Herr. 家主が迎えてくれて、Frau. 家主は取込み中だから、ちょっと待って、だと。部屋にとおされると、デカイ犬がいるではないか!かつての犬ギライの私なら耐えられなかったろうが、いまはどういうわけか平気なのだ。驚いたのは、ネコも同居しているのである。ケンカしないのかときいてみたら、この2匹は大丈夫でけど、ほかのネコには吠える、って。Herr. 家主はかつてソニーで働いた経験もあり、これまで3台の日本車を乗り継いできている。現在はマツダ。でも日本語は「サヨナラ」しか知りません。

空いている部屋は大家さんの家の向かいの家の一階の一室、といっても各階一室しかないようだが。外観は普通の家で、日本のアパートのイメージとは違うのだ。ここには上の階にすでに2人住んでいて、地下室は共同。また家が斜面に建っているため、地下室から庭にでられる構造。部屋は25平米、ベット、机、イス、ソファ、タンス、食器棚(現在、本棚になっている)がある。キッチンには電気コンロ2つ、冷蔵庫、なんとカフェ・マシーン。トイレ・風呂(浴槽付き)。すごいのは一部屋分ありそうなくらいのバルコニー。窓も大きいからとっても明るいのだ。ちなみにガスはない、必要無い。欠点と言えば、洗濯機がないのと照明がシャンデリア風でちょっと暗い。

即日契約へ。契約書を作成する。家賃やその他の経費、賃貸期限などを読み合わせて、署名。どこでも署名は日本語(漢字)でするようにしているのだが、きまって「綺麗な字ね」といわれる。私の字がきれいなのではなく、日本語(漢字)が美しいことを意味するのは明らかだが。そいえば、語学学校では名前を漢字に訳してほしいと頼まれたっヶ。そういうことは中国人に頼みなさい、と思うのだが、なぜか簡体字は魅力がないらしい。ちなみに、私もアラビア語の名前を教えてもらいました。ともあれ、契約成立。あとは仲介手数料を支払うだけである。1年以上の契約(今回は終了日は空欄にし、退去の3ヵ月前に通知する方法をとった)なので、手数料は家賃の175%。最後は、コニャックで乾杯!

さて、引っ越し。こっちに来たときは、20kgギリギリのトランク1コと手荷物1コ。そのあと、13kg程の本の入った箱が届いて、こっちで買った本とかゴチャゴチャしたもの。合わせてトランク2コと手荷物1コが引っ越し荷物。2コ目のトランクは隣の部屋に住む友人が貸してくれたもので、さらにそのトランクを運んでくれたのだ。バス〜ドイツ鉄道〜市電を乗り継いで約1時間で到着。電車が混んでいたため思ったより時間がかかった。いや、ホントに電車が混んでいて進まないのだ。市の中心部は地下鉄(Stadtbahn)になっているものの一つの駅に4〜5路線がそれぞれ10分間隔で乗り入れているから、暗い地下で前の電車が出発するのを待つこともしばしば(もちろん車内は電気がついてる)。これだけ数が多いのに、ホームは2つしかないから大変なのだ。さらに中心部を抜けると路面電車(Straßenbahn)になるから、信号が多いし、車の渋滞にも巻き込まれる。ちなみに、私の利用している電車はレトロないい感じのヤツです。

【016】住民登録

ドイツの入国規則によると、すべての外国人はドイツ国内に2ヵ月以上滞在する場合には、居住地の管轄局で到着日から1週間以内に住民登録をすることが義務付けられています。同一の居所に2ヵ月以上滞在する場合のことのようで、ホテルを転々としながら2ヵ月以上滞在する場合は関係ないみたいです。私は、語学学校での8週間(ギリギリ2ヵ月以内)が終わり次第、学校が斡旋してくれた住居を引っ越さねばならなかったので、登録はしませんでした。また、住民登録をしていないと滞在許可(ビザ)が申請できません。

私は部屋の契約時に大家さんと住民登録手続についても話をしていたので、引っ越してきた日には、大家さんは必要書類を準備し、自分の署名をしてありました(サインがないと無効なので、大家さんが遠くに住んでいるなんて場合は手続に時間がかかるかもしれません)。あとは、私が必要事項を記入するだけになっており、週明けにRathaus(市役所)に連れていってくれる、とのこと。住民登録書類はドイツ人も外国人も同じものを使うようで、非常に面倒でした。外国人は記入する必要のない項目などがあるので、注意書きを読みながら記入しなければなりません(わからなければ、窓口で担当者と一緒に記入すればいいんですけど)。宗教区分を記入する欄もありました。「信教の告白の自由に反する!」なんて文句を付けてみようかと思いましたが、秘密にする理由もないので素直に書きました。

約束どおり週明けに市役所につれていってもらい、幸運にもほとんど待たされることなく、20分ほどで完了しました。しっかり注意書きを読んでの記入だったので、担当官から「Super」とのお誉めの言葉も頂き。市役所では、住民登録のほか、滞在許可申請、運転免許事務、警察事務の窓口もあり、ほぼすべての行政手続をできるようです。日本だと免許はこっち、警察署はあっち、なんて面倒ですよねぇ。帰り道は、ちょっとしたドライブをしました。しかし、日本車の左ハンドル仕様ってなんか不思議です。

【017】夏時間突入&復活祭

日本との時差は-8時間、ただし、3月最終日曜日から10月最終土曜日までは夏時間になるので、この期間、時差は-7時間となる。3月最終日曜日は知らない間に睡眠時間が1時間なくなっているのだ。まぁ、10月最終土曜日には1時間長くなるのだが。しかし、いまだに、夏時間がなんのために存在しているのかわからない。夏、日が長くなるのであれば、1時間時計を遅らせてもいいのでは?どうせ夜も明るいんだし。朝はゆっくり寝ていようではないか。逆に、冬は日が短いから1時間早くするとか。

今年は夏時間突入に前後して、3月29日「聖金曜日」、4月1日「復活祭月曜日」が祝祭日。このころ2週間程、復活祭休暇で学校も休みになる。私にはあまり関係なかったけど。復活祭といえば、「ウサギと卵」だそうな。理由はわからない。ケーキ屋(お菓子屋?)の店先には、ウサギや卵をかたどった商品がなれべられる。これを見るのもなかなか愉快だ。でも気に入らないのは卵。とにかく原色ピカピカのカラーリング。センスに文句を言うつもりはないが、スーパーにある卵にまで色がついているのは御免である。この期間、どうも卵を食べる気にならなかった。ドイツ鉄道に乗ったたとき、車内で卵を配っていた。私も1つ、真っ赤に塗られた卵をもらった。白い字で「DB(ドイツ鉄道)」と書いてある。これが生卵なのか茹で卵なのかは未確認のまま。卵って、常温で放置しておくとどうなるのだろうか?

【018】水あれこれ

「ケルン(英語名cologne)の水」といえば「eau de cologne(オーデコロン)」。でもここでは香水ではなく、水道水の話。ライン川の豊富な水をたよりに工業が発達したドイツだが、水道水を直接飲むのは抵抗を感じる。沸騰させると真っ白になってしまうのだ。沸騰の際に二酸化炭素と、水に含まれている石灰分が反応し白色の沈澱物が生成される。このことに気付いたのは透明な容器で水を沸騰させたとき。それまでは普通に飲んでいたのに、それ以降、抵抗を感じる。もちろん、料理に使う気にもならない。市販のミネラルウォーターが欠かせない生活になってしまった。だが、すべてをミネラルウォーターでまかなうのはキツイ。カフェ・マシーンのフィルターを通して「ろ過」するのも、非常に時間がかかる。熱いままフィルターを通すと紙の匂いが残るし。電気ケトルの過熱部に石灰分が固まって真っ白だ。ボンにいたときは、ここまでひどくなかったんだけどなぁ。

なお、ドイツで「ミネラルウォーター(Mineralwasser)」と言えば、「炭酸水」です。私は、あまり好きではありません。そういえば、多くのドイツ人はミネラルウォーターを持ち歩いています。やっぱり、水道水を飲むのは抵抗を感じるのでしょうか?

【019】銀行口座を開こう

これまでは、トラベラーズチェックを換金するときしか、銀行に用事がなかったので、口座は必要ないと、思っていましたが、引っ越してからは公共料金の支払いに必要なため口座を開くことに。近所の銀行で口座を開きたい旨を告げると、別室に案内され、必要書類の作成(コンピューターに入力)をし、小さなバインダーが渡された。これが通帳。口座番号とか全部「手書き」なんです。振り替え等の際に発行される、領収書を自分で閉じるシステム。日本のシステムとはずいぶん違うな、と思ったら担当者がなにやら別の印刷物を取り出して、今度は、インターネットバンキングの説明を始めました。やっぱり日本とはずいぶん違う、進んでる。インターネット環境がない人は、銀行に設置された残高を確認する専用の機械で、必要らそこでプリントアウトもできる。特段、不便とも思いませんから、こういうシステムも有りということですね。なお、10日程でキャッシュカード(GelKarte)を取りに来るように、という手紙が届きます。このカードは、ほとんどの商店や切符自動販売機で使用できます。自動的に、「Maestro(マスターカード&ユーロカードの提携)」もついてました。

【020】1年間の滞在許可

この項は私の場合、且つKöln-Rodenkirchen管区庁の場合です。在日独逸大使館のHPの情報とは、多少、異なるところがあります。

必要なもの

必死で早起きをして管区庁へ行くと、すでに何人かいるではないか。ドアの前で順番待ちをしていると、前に並んでいた女性に、パスポートを担当官に預けて待つんじゃないのか、と質問される。そんなこと知るか!と思いながら、じゃぁ、ドアをノックしてみようってことに。で、中に入ると、だ〜れもいない。すると、となりの部屋から(入口は4つあるが中は繋がっていたのね)担当官らしき私服の男性がきて、机の上にパスを置いていって、と。さっきの彼女の次、2番目確保!待つこと数分。私を呼ぶ声。おいおい、順番飛ばしたぞ?部屋に入ると、申請書を書くように言われて退出。全部書いたら持ってきてね、だって。A4サイズ5枚分(ため息)。書いてみれば、子供の名前だとか、関係ない項目も結構あって、実際、書くところは少ない(が、読まなければならないことには違いない)。名前、旅券番号、職業、希望滞在期間、滞在費用はどうするの?、犯罪の経歴があるか?、などなど。最後に誓約書に署名。で、上記書類と一緒に提出すると、青い紙(請求書)をわたされて、「会計で手数料払ってね」。

会計に行って、紙を渡すと、しばし沈黙。窓口の女性、「何故、お金をださない?」って顔をしている。私、「いくら払えばいいのだ?」ときくと、女性、さっきの紙を示して「40ユーロ」と。ははは。これ「40」って書いてあるんだ。落書きかと思ってたわ。思わず、「あぁ、それ数字ね?」と言ってしまった。女性、爆笑。で、再び申請部屋へ。担当官、領収書の複写とさっき提出した書類をバインダーに綴じながら「え〜、ちょっと外で待ってて」とな。はいはい、待ちますよ〜。申請だけでこんなに待たされたんだから、交付はいつになることやら。10分後、呼ばれる。なんか書類に不備でもあったか?すると担当官、パスをこちらへよこして「1年間ね」。「研究のための滞在許可、専攻分野・法学、90日間は例外としてアルバイト可、云々」って書いてある赤い紙が2枚、べたぁ〜っと。申請から交付までおよそ2時間。ずいぶん待たされると聞いていたが、速いときは速いようだ。早起きをしたかいがあったというものだ。ちなみに、ドイツ人、写真をはりつけるときは、ホチキスでガチャッ、あるいはテープでベタッで、糊とか接着剤は使わないみたい。この申請書も定期券を買ったときも、学籍を申請したときもそうでした。

ページトップに戻る

【021】日本文化会館

大学からわりと近いところに、日本文化会館がある。ここは、日本語講座を開講しており、結構な数のドイツ人が通っているらしい。某飲み会で、ここに通うドイツ人と知り合うことができた。私は日本語講座に用はないが、図書室に用がある。日本の雑誌だけでなく、法律・政治関係の書籍も多い(決して新しいものではないが、充分)。重いから日本に置いてきた法律書とドイツで再会するとは思わなかった。外交史や内閣史など、大学図書館の開架には置いていなかった本もある。なお、トイレは無料。一般に公衆便所は有料なんだよねぇ。

【022】プリンターを買う

海外仕様のプリンタが日本語環境のパソコン(MacPowerbookG3)で使用できるかを検証します。対象機種はHP社製のプリンタ(deskjet845c)です。旧型なので日本で買うよりも安かったかもしれません。もちろん海外仕様ですから日本語の説明書はついてませんが、まぁ、いままでプリンタの説明書なんてほとんど読んだことはありませんし、今回もなんとかなるでしょう。箱を開けてみると、困ったことに、パソコンと接続するケーブルが入っていません。どうやら、自分のパソコンのケーブルの仕様にあわせて、別に購入する必要があるようです。翌日、買いに行くことになってしまいました。とりあえず、プリンタ制御ソフト(ドライバ)をインストールしてみると、なんと、使用許諾同意書が日本語で表示されたのです。付属CDのプログラムは使用パソコンの言語に合わせて自動判別をするようで、プリンタの設定表示も日本語でした。翌日、いとも簡単に日本語が印刷できました。結論、「動く」。自分で設定した印刷環境に名前をつけて保存しておく際に、日本語で名前を付けられないという制限があったり、一部表示がおかしいところもあるけど、印刷に支障はありません。HP社のHP...ホームページから無償で日本語ドライバがダウンロードできますが、このためにわざわざ、10MBもあるドライバをダウンロードする気にはなれません(モデムでアナログ接続のため)。動けばいいのです! ずっと前に、日本語版Macを海外で使用する方法を書いたので、ここでは、海外製プリンタを日本で使用する方法を書きます。まぁ、この安いプリンタを帰国の際に持ち帰るかはわかりませんが。まずACアダプターをみると「100V-240V」とあるので、ユニバーサル仕様になっています。ということは、高電圧地域(欧州)から低電圧地域(日本)に移行するには、コンセントの形状を交換するだけでよいのです。他のACアダプターを介さないような電気製品はどうか?つまり壁の電源の電圧(230Vとか)が直接本体に流れるような製品のことです。この場合、100Vの電圧を230Vに変圧しないと使用できません。低電圧を高電圧にする変圧器は、逆の場合(高電圧を低電圧にする)と違って簡単ではありません。小型発電機をくっつけるような感じになるので、実践的ではない。いわゆる、先進国同士ならものが買えないということもないので、輸送費用等を考えたら買い替えたほうが無難ですね。資源の無駄使いとのかねあいをどうするかが問題になりますけど。

【023】学食に行く

本当の学生証が届きました。6月中旬になると言われていたが、しっかり5月中旬に届く。これまで携帯していた仮学生証はデカイ紙切れだったのだが、ホンモノは...やっぱり紙切れ。名刺サイズになったけど。写真もない。日本の「写真付きプラスチック製学生証(電磁的記録含)」を想像していたから、このギャップにちょっととまどう。裏面がオレンジ色になっているから、なにか特殊な加工がされているんだろうか?ラミネートカードにしてはいけないという注意書きもあるし。そのままでは簡単にボロボロになりそうだから、プラスチックケースに入れることにしよう。しかし、学内で学生証の提示を求められたことはないぞ。もちろん、この学生証も電車の乗車券を兼ねています。 で、学食。ケルン大学の学食はなぜか有名で、ぜひ連れていって欲しいと頼まれることがしばしば。キャンパスといった概念がなく、街中に施設が点在している(しかも広範囲!)ので、学生でなくとも学食に入るのに抵抗を感じることもなく、また、学生証の提示を求められることもない(いまのところ)。私は堂々と入れます、学生だもの。Mensaの建物内には食堂のほかに洋服屋(ドイツで「洋服」とは?「服」でいのか)も、文房具屋(普通、大学にはあるのか)もあります。喫茶店もあったかな。食堂は北と南の2つがあり、北はパン中心、南はご飯(ピラフとか。残念ながら白米はない...と思う)中心。どちらも、昼と夜の営業があるが、夜の営業にはまだ行っていない。3ユーロほどで、結構なボリュームなのだ。 だいたいの学生は、味付けの濃い大皿1つと、サラダ等の小鉢2〜3つ。ドリンク類はスーパーで買ったほうが安いため持ち込むひとが多いかな(私も例外ではない)。ドイツ人は、大皿に小鉢をどばっとあけて、完全に混ぜて食べてます。だから、大皿の味付けが濃いのか?さすがに、デザートは混ぜないけど。ちょっと高い大皿を中心にメニューを組み立てても、5ユーロほどだが、ものすごい量になってしまうため、なかなか買えない。残すの勿体無い!食べ切ると太...。美味しそうなんだけどなぁ。

【024】ベルリン滞在記:序

6月末、日本の大学院の外国法の先生から、ベルリンのシンポジウムで報告をするため来独するとの連絡を受ける。都合がよければ、こっちの先生と一緒にベルリンに来なさいとのこと。同郷というだけでなく、高校の大先輩でもあり、色々と便宜を図ったくださる。ドイツでの受け入れ大学がすんなり決まったのも先生のおかげで。ともあれ、これを機にベルリン小旅行を企てたのでした。日程を確認するため、こっちの先生にアシスタントから連絡をしてもらったところ、明日、学内で開かれる誕生会に招待するから、そこで直接、お話しましょう、と。なんか、急展開。

【025】ベルリン滞在期:誕生会

学内の講堂で催されたこの誕生会は公的性格のものらしい。結構な人数の招待客がいました。私には場違いのような。州憲法裁判所の裁判官や、先生のかつての教え子がスピーチをして、最後に新刊の紹介。管弦楽四重奏付。そのあとは、講堂前のホールでビュッフェ形式の「軽いお食事」。私にしてみれば、「普通の食事以上」でしたが。食事をしながら、比較的年令の近い人達(学生・助手)とも、お話しましたが、ほとんど専攻は「欧州法」で「憲法」の人はいませんでした。公法学でも現在は欧州法が主流みたいです。なお、欧州法は「国際法」とも異なります。

【026】ベルリン滞在期:1日目:ケルン〜ベルリン

ケルン〜ベルリンは新幹線(ICE)で4時間程で結ばれています。私は列車に乗る時は、たいてい当日、出発直前に切符を購入しています。このときも、特に出発時間などを決めず、中央駅についてもっとも近い時間の列車に乗るつもりでしたが、予想以上に窓口が込んでいて、15分後の列車にのれず、朝のお店の開いていない駅の中で一時間ほど潰さねばなりませんでした。ちなみに、ドイツにはBahnCardというカードがあって、これを140ユーロ(私は学生扱いなので半額)で購入すると、1年間、国内全線が半額になります。出発当日にも購入できます。例えば、ケルン〜ベルリンは通常、約200ユーロですが、このカードで100ユーロになります。学割でカードを購入していれば、合計170ユーロなので、一度で元がとれてしまいます。これだけ、交通費が安いと、旅行しようという意欲がでてきますね。ドイツ人が旅行好きと言われるのはこのためでしょうか。日本も、こんな制度を導入したらいいのでは。少なくとも、一番、「カネとヒマ」がありそうな、学生と高齢者は半額にしてしまうとか。こうすると、「ヒトとカネ」が移動するわけですから、経済効果もあると思うんですけど。大体、国内旅行が海外旅行より高いってのは問題でしょう。国もヘンなカミキレ(地域振興券だったか)をバラまくより、こうことを考えてもらいたいですねぇ。海外視察とかしてるんですから(そのわりにアメリカのマネばかりだ)。

しかし何度見てもICEってのは秋田新幹線に似ています。内部も、一列4席です。この列車は、団体客が入っていたらしく、座席指定をしていない私は空いている座席をさがすのに苦労しました。こっちの列車は、「全部が自由席であり、且つ指定席である」と言えます。つまり、座席指定をすると、座席の上のところに、指定された区間を示すプレート(最新のは電光掲示)がつけられます。これをたよりに、空き座席をさがすわけです。したがって、指定されている区間外であれば、座ってもかまいません。え〜っと、たしかこの日は、ワールドカップ(Weltmeisterschaft)の速報を、車掌さんが車内放送で伝えてましたっヶ。めずらしく、ほぼ定刻にベルリンに到着。無事、先生にお会いすることができ、昼食。昼からビールだ。適当に時間を潰して夕方、シンポジウムの参加者のためのレセプションが催されました。私は参加者ではないのですが、まぁ、しっかり紛れ込んでました。すると、主催者サイドにばれまして。いや、ばれたというか先生によって、「参加者」にされてしまいました。明日からのシンポジウム会場に座席が用意されることに。あぁ、観光計画は大幅な変更を余儀無く...。

【027】ベルリン滞在期:2日目:シンポジウム1

さて、シンポジウム。会場に付くと、私にも名札やら資料やらが準備されていました。しかも会場に並べられた机の一角にも、私の名札が。会議室の後ろに並べられたイスのところに私の場所があると思っていたのに、なんかスゴイことになってしまった。ドリンクを取りやすいというメリットはあるけど。「庇護権」に関するシンポの内容はさておき、9時頃に開始して11時前にはコーヒーブレイク、13時前には昼食。これは近くのホテルだかレストランだかのシェフを呼んで、施設内の厨房で作ってもらったのだとか。ちょいとアジアン・テイストなやつでした。15時半には再びコーヒーブレイクで、17時半に初日終了。こうして見ると、休憩が多いかも知れないけど、国際会議はいつもだいたいこんな感じです。しかし、集中してわけのわからないドイツ語を聴いていると疲れる。19時からレストランで夕食。おもいきって、日本の先生方から離れてみました。とはいえ、こころもとないので、主催者側の日本語を勉強中という人のいるテーブルへ。しかし隣は、私が所属している研究室のボス。このときまで、ほとんどお会いすることがなかった先生です。なんでも、先週は講演のため、日本にいて、サッカーを見てきたのだと。だれが、W杯のチケットを手配したんだろう?いろいろ、話をした結果、講議にも参加しろ、と。1限からかぁ。

ケルン大学の時間割は1コマ120分。制度上、休み時間は設定されていないが、実際は、授業の前後15分間は移動等のために使われて、90分。この前後15分を「Akademisches Viertel」と呼んでます。

【028】ベルリン滞在期:3日目:シンポジウム2

この日の、コーヒーブレイクには、ケーキなんかも付いたりして。最終日なので、このシンポが終わったら、帰る(帰国する)参加者多数。午後の会議ではすでに何人かいなくなってました。シンポが終わり、私は、東京の語学学校で同じクラスだった、現在ベルリン在住の友人と飲みに行きました。直前に連絡したにもかかわらず、なんとか時間が合いました。で、本日終了。

【029】ベルリン滞在期:4日目:ポツダムにて

せっかくベルリンまできたので、予定変更、もう1泊して観光しよう。駅前のホテル紹介所みたいなところで探してもらう。観光客が多いらしく、たどたどしいですが英語でも対応してくれます。私、ドイツ語で話しているんですが。最後のほうになって、担当のオニイチャン、「なんかおかしいと思った。君の言うことはすんなり理解できるのに、なんで話すのに苦労するんだろうって思ってたんだ。」、だって。部屋を確保したので、ポツダムに。ベルリンから電車で30分、往復4ユーロくらい。ポツダム中央駅で、一日乗車券でも買おうとあたりを見回すと、ベルリンとポツダムで共通の一日乗車券もあるじゃない。えー、ポツダムのやつが3ユーロで、共通のが6ユーロ。ちょっと損した気分。おまけに切符販売機が紙幣を受け付けてくれません。故障ではないが、時として、硬貨しか受付ないという表示がでている。窓口で買おうとすると、若いニイサン、「6ユーロ」と言う。私は「ポツダム市内のみは3ユーロだ」と断言する。だって、自動販売機でそう表示されたもの。しばらくもめていると、隣の窓口のおばちゃんがなにやら若いニイサンに耳打ち、彼はファイルを取り出して調べる、「3ユーロ」(ボソッ)。勝った!これ1枚で、バスと電車が乗れます。

ここではポツダム会談の会場が見たかっただけなので、ほかに何があるのかよくわからない。駅の観光案内を見ると、サンスーシー宮殿というものがあるようだ。まぁ、行ってみると宮殿内部の見学には結構待たされるみたいだったので、庭園だけ見てきました。またバスで移動し、ツェツィリエンホーフへ。ここがポツダム会談の会場となった部屋のあるところです。この宮殿の一部はホテルになっているようです。入ってビックリ。日本人団体客御一行様がいました。タダで日本語のガイドも聞けました。そういえばこの、赤い絨毯の部屋、教科書かなんかで見たっヶ。グルっとまわって、最初のところに戻ってきます。写真撮影不可だったな。なお、ガイドを付けてもらうと入場料がちょっと高くなりますし、ある程度、人数がまとまるまで待たされるみたいです。日本語の場合は予約しなければいけないとか。各展示品の説明は独語と英語と、たしか露語で貼ってあります。この説明については、売店で日本語の冊子を借りることもできます(最初に保証金として2ユーロを支払い、返却すると戻ってくる)。しかし、私がこの冊子の存在を知らされたのは戻ってきてから。日本人団体客で売店&玄関が混雑していたため、出ることができず、入り口の入場人数調節をしていたおばちゃんと雑談をしていたときに知らされたのでした。

【030】ベルリン滞在期:5日目:ベルリン〜ケルン

世界最大の飼育種類を誇る動物園と水族館を見るために「ベルリン動物園駅」へ。日本の動物園とちがって、基本的に動物と人間との間に、金網とか高いサクはありません。そのかわり、深い溝が掘ってあります。おかげで、動物がよく見えます。お目当ては、パンダ。実は、日本では見たことなかったんです。まぁ、食べているか寝ているかのヤツでしたけど。暑くなってきたので、水族館へ避難。クラゲいいなぁ〜。見ていて飽きない。一時期、癒し系とかいわれてましたっけ?でも彼等の捕食は結構スゴイですよ。あの、ひらひらのスカートで包み込んで、そのまま消化しちゃうってんですからね。さすがに、捕食の瞬間は見れませんでしたけど。いつかは生で観察してみたい。そうそう、日本のコイもいました。「コイ」って表示されてました。この水族館、両生類や爬虫類も飼育しています。まぁ、この両者はともかく、なんで「クモ」や「ゴキブリ」も飼育しているんだ!?しかも、ゴキブリの飼育環境はキッチンになってるんですよ。体長5cm!ほかに興味深かったのは、各動物の名前のところにエサと天敵も表示してあったり、エサを与える時間が表示されていて、そのエサを作る行程も見ることができたり、地上動物と鳥の複合飼育(一つのオリのなかで、異なる系統の動物を飼育)をしていたり。そんなことをしていると、そろそろ帰らねばという時間。軽く駅で昼食ををとって、新幹線へ。今回も混んでましたが座れました。本を読んでいたらあっというまにケルンに到着しましたとサ。おしまい。

ページトップに戻る

【031】ドイツの運転免許証を取得する

4月末に滞在許可申請をした際に、日本の運転免許証をドイツのそれに書き換える手続についても聞いてきたのですが、なんだかんだで6月になり、結局、手続完了は7月末。申請から5週間ほどで、日本の免許と交換でドイツの免許証を手にしました。法制度が違うため、乗用車と「すべての自動二輪」に乗ることができるようになりましが。つまり、日本国内で取得した「普通自動二輪免許」は、いわゆる「限定解除」になったのです。しかも、「70才まで有効」とかいてあるので、それまでは更新の必要とかないようです(※後に法改正があり、それ以降に取得したものは有効期限が15年になっています。)。

ちなみに、外国の免許を日本の免許に「書き換える」には、その外国免許を取得した国に、3ヶ月以上、滞在しなければなりません。ドイツでは日本の免許証と引き換えに、ドイツのが交付されるので(没収されます)、3ヶ月以上滞在できない場合には、「免許証をなくした」等の理由で再発行することになります。さて、この「限定解除」が日本で書き換えても限定解除のままならば、私の思惑は大当たり。普通自動二輪が大型自動二輪に化ける、免許証ローンダリングが成功するのですが...。

※帰国後談。ローンダリング失敗でした。免許証紛失手続きで再発行、と。

資料:在独日本国大使館領事部回答(1999年1月1日現在)

  1. 非居住者(旅行者等)
    • 日本の国際運転免許証で運転できる。
    • 日本の運転免許証に在外公館等発行の翻訳証明を携帯し運転できる。
  2. 居住者
    • ドイツに居住してから6ヶ月間は、上記1の条件で運転できる。
    • ドイツに6ヶ月以上居住し、7ヶ月目以降も運転する場合、ドイツに居住し始めてから6ヶ月になる前にドイツの運転免許証に書き換える必要がある。但し、居住期間が12ヶ月以内であることを疎明できる場合は、管轄の運転免許官庁(Verkehrsamt)に申請し、例外許可証の交付を得て携行すれば、上記1.の条件で運転できる。
    • ドイツに居住しはじめたときに所持していた日本の運転免許証は、その運転免許証が有効期間内にある場合、ドイツに居住し始めたときから3年以内であれば、ドイツの運転免許証に書き換えできる。
    • ドイツに居住している間に、日本の運転免許証が失効し、一時帰国して再交付を受けた日本の運転免許証(ドイツ在住中に一時帰国して新しく日本で取得した運転免許証を含む)については、ドイツの運転免許証に書き換えできない。
  3. 書き換え後の日本の運転免許証について
  4. 日本の運転免許証をドイツの運転免許証に書き換える際に、原則として、ドイツの運転免許と交換に、日本の運転免許証をドイツの運転免許官庁に引き渡すこととなる。

ケルン管轄庁情報要約

  1. 欧州経済領域に関する協定外の国からの外国免許証の書き換えは以下の書類を必要とする。
    • パスポート
    • 3.5×4.5cmのカラー写真1枚
    • その国のオリジナルの免許証(国外運転免許証だけでは不十分)
    • ADACによる、免許証と運転可能車種の翻訳
    • ・オリジナルの免許証のコピー(両面)
    • 場合によっては、健康診断書
  2. 書き換えの申請の際には、手数料を支払うこと。
  3. 書き換えの申請の際に、オリジナルの免許証が有効期限内であること、およびドイツに入国してから3年以内であること。
  4. この申請は、免許証保持者本人がしなければならない。

私は、ADAC(いわゆるドイツ版JAF)から日本の運転免許の翻訳証明を在独日本国大使館で発行してもらうように指示されたので、それをADACに提出し、運転可能車種のクラスわけをしてもらいました。なお、JAFは外国免許の翻訳もしているようです。

【032】コインランドリー

日本で利用していたコインランドリーとちょっとシステムが違った。まぁ、すべてのコインランドリーがこのシステムかどうかはわかりませんけど。まず、時間によって料金が異なって、早朝割引がある。窓に「2.10ユーロから」って書いてたので、洗濯機の大きさで料金が違うのかと思っていたら、時間の問題でした。コインの投入口は各洗濯機に付いているのではなく、「中央制御装置」のようなところに投入して、洗濯機の番号を選択する。すると、下から洗剤もでてきます。自分で用意する必要なし。また、洗濯機は30〜95度の範囲で水温調節もできます。初めて利用した時は、とても新鮮だったのでずっと観察してました。日本のに比べて、使用する水の量がずっと少ない感じです(※ドラム式だったな。)。さすが、環境問題先進国。脱水時には、洗濯槽は「これでもかっ!」というくらい高速回転。残り3分から回転速度を増し、残り1分で減速。さすがに、これをジッと見つめていたら目が回りそうだったのでやめました。乾燥機も制御パネルで集中管理です。料金としては、洗濯は日本よりちょっと高め(洗剤込みだからかな?)、そのぶん、乾燥機は半額くらい。トータルでちょっと「安い」といえるかな。あぁ、そうそう、SHAKIRA『LAUNDRY SERVICE』(Sony Music Entertainment)ってアルバムはなかなかよろしいかと。しばらく、シングルとともに欧州チャートの上位に君臨していましたよ。

【033】生きるために食べているもの

ドイツは東京に比べて物価が安いとはいえ、毎日外食ではやはり経済的負担が大きいため、自炊せざるを得ません。ところが、スーパーには、日本では見たことのない野菜の存在、日本では普通にある野菜がない、日本で普通に見かけるが比べ物にならないくらい大きい野菜の台頭、ケルンでは新鮮な魚は入手困難、炊飯器がないため(売っているが高い!)お米を炊くのはナベ等々の事情から、日本にいたときと同様の自炊は難しい。さて、どうしたものか。

:問題です、「500g2ユーロの鶏肉と1300g2ユーロの鶏肉、どちらを買いますか?」。もちろん、1300g2ユーロの鶏肉ですね。ただし、1羽まるごとですが(羽と内蔵と頭は切り落としてあります)。スーパーでは、鶏、鳩、七面鳥あたりか常備しています。デパートだと、ウサギなんかも。もちろん、まるごと。慣れれば、ものの3分でバラバラですが、なれないうちは30分もかかってゴチャゴチャになるだけでした。業者によっては、内蔵を小袋にいれて、鶏の体内に戻してあったり。

ソーセージ:各種、量り売りです。ブルートヴルスト(Blutwurst)という、血液混じりのソーセージはクセがありますが、大丈夫でした。大丈夫ってだけで、常食はしないけど。サラミ中心。

:お米は、アジア系のお店だけでなく、普通のスーパーでも売ってます。日本のお米のように丸いものも売ってますし、安い。イタリア産日本米SHINODEはちょっと高いか。まぁ、日本では見たこともない「日本産」と名乗るお米もあったりしますが。私は炊飯器を持っていないため、鍋やフライパンで炊いていました。惣菜コーナーで、サラダやデザートに米が使われているのには、最初、抵抗があったな。慣れるし、旨いけど。

:デパートに行けばありますが、鮮度は疑問。「マグロ」と書かれた黒い塊はなんですかね。冷凍モノのほうが安心できる。あと、ニシンの酢漬け(ビスマルク・ヘーリング)が好き。

野菜:ゴボウは見たことがない。戦中、日本軍が捕虜にゴボウを食べさせたら、木の根を食べさせた、虐待だと批判されたとかなんとか。アーティチョークは、学食で初めて食べた。普段は、惣菜コーナーの、酢キャベツ。

調味料:、連休前に買い物をしわすれたときとか(スーパーは祝祭日お休み)、米とパスタと調味料でしのぐわけで。オランダ産キッコーマン、ありがとう。

【034】パリ奇行外伝

美しき花の都パリ、その影で鳩が爆弾を投下し犬が地雷を設置する危険な都パリ。「欧羅巴生活〜パリ編」の完成後に発見された極秘メモを基に、忘却の引き出しに封印された記憶をひも解く。ってほど壮大な話じゃないんだが。ドイツのファストフードでは「お飲み物は何になさいますか?」ではなくて、「コーラ?」って聞かれることが多いんだが、パリでは「コカ?」って。オレ、ペプシ派なんで、ノーサンキュー。

【035】ホームパーティー

ホームパーティーに招待された。パーティーの主旨はわからないが、出席者は日本人と独逸人が半々。お互いのイメージついての話になる。例えば、私達が漠然とイメージする典型的ドイツあるいはドイツ人は、ビール、ソーセージ、ジャガイモ、ザワークラウト、勤勉、マイスター、医学みたいなこと。日本と言えば、島国、超高層ビル、ソニー、車、魚、勤勉、24時間働いている、会議好き、時間に精確、などなど。

無難な回答。というのも、彼等の多くはすでに日本に行ったことのある者や、興味があって勉強している者だったため的外れな回答なし。曰く、日本に興味のあるドイツ人は日本を良く知っているが、逆に興味のない者はまったく知らないのではないか、と。強いて言うならば、日本人のイメージは「眼鏡をかけたインテリ」だそうな。ついでに、ニンジャ、サムライ、ハラキリ、スシ、ゲイシャ、フジヤマなんてことを本気で言っているのはアメリカ人くらいだと軽い毒を吐く。そこから話題は、沖縄の米軍基地とか北朝鮮とか日中米の関係などに展開。

あるドイツ人の経験談。仕事で日本に行ったときのこと。会社に行くと、観光に連れていってくれるという。行った先で案内人が一言、「どうです綺麗でしょう。では次に行きましょう」。どこに行ってもこれだけ。(日本人ってせっかちだな。)。仕事中、ハンマーが必要になり、担当者に貸してほしいと頼んだところ、「待って下さい」と言い残し何処へ。いつまでたっても戻ってこない。このままでは仕事にならないので探しに行くと、数人が集まっている。(ハンマーひとつに会議。)。食事に招待してくれるという。日本庭園のある立派なところ。でてきた料理がフランス料理。(ここ日本だよねぇ。)。

【036】ローマ・ゲルマン博物館

日曜日に開いているところは、飲食店と博物館くらい。そんなわけで、大聖堂の隣にある「ローマ・ゲルマン博物館」に行きました。ちょうど『ガリア戦記』を読んでいまして、その影響です。紀元1〜5世紀頃の遺跡やガラス細工や装飾品やら、小さいものから大きいものまで展示してあります。ちなみに、この時代、ローマ帝国は現在のイタリア、フランス、スイス、オーストリア、イギリスくらいまで広がっていて、ドイツ(ゲルマニア)とはライン川で接していました。ですから、ローマの水道技術がケルンにも伝わってまして、水道管(もちろん石)の遺跡も展示してあります。なんでも北海から100kmにもわたって、毎日20000立方メートルの水を通していたとか。この博物館のメインといえば、「ディオニソス・モザイク」。『地球の歩き方』とかには載ってるかもしれません(私、もってません)。10m四方はあるでしょうか。1cmの小石を100〜200万個つかってると書いてました。すごい大雑把な数字です。倍も開きがあります。ほかにもモザイクは「ケルンの七賢者」とかありましたが、異常に印象に残っているのは、普通の部屋の床のモザイク。「卍」がたくさん描かれています。ハーケン・クロイツ(鈎十字)ではなく「まんじ」です。そんな昔からあった模様だったとは。なお、その部屋にあった椅子は石でできています。そのまま座ったら拷問なみに疲れそうです。たぶん、クッションをしいていたはず。石製のベッドもありました。こっちには、きちんとクッションをしいて使用したと書いてあります。そうでなければ、冬なんて冷たくて寝られません。遺跡には大抵、文字が刻まれていますが、ローマ人、ゲルマン人は几帳面だったようです。曲がらないように線を引いてあります。

ガラス細工とか装飾品とか小さいモノは1コずつ見ていてはキリがないので、適当に見ていきましたが、なんですか、この時代ってのは、実用にたえないスプーンとか、ランプの油壺なんてのがおおいですね。使いにくそうなものばかり。ま、実際、使ってはいないんでしょうけど。どうやら、北アフリカからも壷が伝わっているみたいです。「ヒトの顔のてっぺんに筒をつけたような壷」、えー、ハクション大魔王のでてくるツボってのがイメージとして適切かも。

それほど広くない博物館なので1時間くらいで終わりました。土曜日に食料を買い忘れた私は、外食をしなければ飢えてしまうのですが、夕食には早い時間です。とりあえず、館内でカッフェー・パウゼ(コーヒーブレイク)。そこそこおしいしいコーヒーでした。博物館をはなれ、どこで夕食を食べようかなと考えながら、ブラブラしていたらイベントに遭遇しました。いつもの広場にメリーゴーランドやステージやウマ(ポニー?)が見えたんです。どうやら今日が最終日らしい。屋台もでています。夕食はココに決定!中華風というか中華焼そばを食べました。「祭り=焼きそば」だもの。結構なボリュームと思いながら、帰り際、「焼栗」を買いましたとさ。

【037】映画でも

【038】

【039】

【040】

ページトップに戻る

戻る

タイトルロゴ
inserted by FC2 system