産經新聞2012年4月27日 非常事態の対応から議論を

 憲法の改正論議で、「今の憲法は十分機能してきた」として改憲は必要ないという意見を聞く。確かに平時においては、国民生活に影響を及ぼすような問題は起きないかもしれない。しかし、今の憲法に非常事態を想定した規定がないのは致命的だ。例えば、憲法54条1項は「衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ」とある。もし解散後に大地震が起き、総選挙ができなくなったらどうするのか。
 東日本大震災の後、統一地方選挙が予定されていたが、これは法律に基づくものだから、特例法で対応できた。しかし、総選挙は憲法の規定だから法律では対応できない。憲法の規定を一時的に停止する規定もないから、憲法13条の「公共の福祉」を根拠に処理するほかないだろうが、それでもかまわないのか。
 そろそろ、非常事態への対応から、憲法改正論議を具体的に進めるべきではないか。

産經新聞2010年6月4日 政治への疑問を白票で主張

 今度の参院選、多くの政党が比例名簿に有名人を入れている。多数決制度のもとでは、議員個人能力はともかく票を多く取った政党が優位に立つから、その意味で有名人頼みも選挙戦術としては間違っていない。
 しかし、有名人なら票が集まるということは、裏を返せば有権者には政治を判断する能力がないということでもある。有権者はそのように政策ではなく、ネームバリューで投票するのだと思われているのだ。
 私は、投票を義務だと考えているから、積極的に支持できる政党がなくとも、考え方の近い政党に投票すべきだと思う。しかし、政治のていたらくを見せつけられている現在、この参院選は考えを改めたい。
 「白票」を選択肢とする。投票率に比べて有効票が少ないなら、単に投票率が低いことより、もっと強く政治そのものに疑問を突きつけた証拠になりそうだからだ。

産經新聞2009年12月31日 ダムなしで食料増産可能か

 環境省が「バーチャルウォーター」というサイトを立ち上げている。バーチャルウォーターとは、ロンドン大学アンソニー・アラン名誉教授が提唱したもので、食料を輸入している国が、もしその輸入食料を生産するとしたら、どの程度の水が必要かを推定したものだという。
 これによれば、わが国のカロリーベースの食料自給率(約40%)の不足分を補うために、輸入された水量は、2005年では約800億立法メートルだという。  さて、民主党は食料自給率を10年後に50%、20年後には60%にまで引き上げることを目標にしている。そのためには相当な量の水が必要になるはずだが、わが国は、しばしば水不足が騒がれるように、決して十分な水を保有しているとはいえない。現状を維持するだけでも限界なのである。
 民主党がダムなしで食料自給率を上げられるというのなら、どこかに「隠れ水源」でも確保しているのだろうか。

産經新聞2009年10月14日 「ダム建設」中止より白紙を

 民主党はマニフェストに「地域主権」を掲げている。憲法学で用いる主権の概念では説明できない用語法だが「地域のことは、地域がきめる」ということらしい。今、その地域が求めるダム建設に対し政府は建設中止を通告している。
マニフェストに記載してあるからと強調するが、世論調査では、国民は政権交代は期待したが、政策は支持していない。奇妙な結果だが、「直近の国民の声」はそうである。
 「無駄なダム建設を中止する」という抽象的なことなら全国民が判断できるが、どのダムが無駄なのかは、判断できる問題ではない。そういうものを盛り込み国民が賛同したかのように見せかけるのは欺瞞だ。
 それでもマニフェストを根拠とするなら、国と地方公共団体が対等・協力関係を築く努力も見せてもらいたい。中止を白紙にもどし、地域との話し合いの場を持つべきだった。話し合いのための「公約違反」なら非難に値しない。いまのままでは、地域主権の確立など夢物語だ。

Voice July, 2009 憲法に抵触する裁判員制度

 裁判員制度について運用上の問題点のみを指摘し、憲法上の問題点を無視する(あるいは気づいていない)メディアが多いなか、貴紙六月号のように、この制度の違憲性を指摘する論文を掲載した姿勢に、少々の驚きとともに感心しました。 大久保太郎先生の論文で取り上げられた問題のほかに、この制度はかなりの憲法規定に抵触すると考えられます。
 まず、代表民主主義を人類普遍の原理とまで宣明する前文に反し、国民の司法への直接参加を要請しますが、これを認める明文規定はありません。仮に参加が許されるとしても、憲法と法律のみに拘束されるはずの裁判官(七六条三項)を、評議において裁判員の多数意見で拘束することは許されません。戦前の陪審制度は、国民の意見を聴きながらも裁判官を拘束しないように仕組まれていたのとは正反対です。
 また、素人に重大犯罪を「迅速に」裁かせるためにかえって公平さが失われ(三七条一項)、迅速性を担保すべくなされる公判前整理手続きは、原則非公開である以上、裁判の公開に反します(八二条)。
 複雑な事件は迅速化のために区分して審理するとなれば、法廷の構成員が変わるのですから審議の一貫性を欠き、これも公平に反します。
制度上の問題のほか、裁判員に選任されれば、人権や国民の権利をも侵害しかねません。真理探究の名の下に、血なまぐさい証拠写真を見ることを強要され(一八条)、思想と良心と信教の自由(一九条、二〇条)に反する判決をしなければならないからです。裁判員の職務を果たしたために精神的障害を負ったとしてもなんの補償もありません。 この制度は、構想された当初から違憲の疑いがもたれていましたが、それについて国会で審議した記録はほとんどないようです。
わが国では憲法の意義など忘れ去られてしまったのでしょうか。それとも正義の名の下に憲法をねじ曲げてしまうのでしょうか。

SAPIO 2009.1.28 裁判員制度に莫大な税を使う意義

 09年から裁判員制度が始まるが、この制度のために莫大な税金が投入されるということは、国民に説明されただろうか。
 制度の広告宣伝費、裁判所に裁判員席を設置する費用、裁判員のために資料等を整理するための裁判所職員の増員、裁判員および補充裁判員、裁判員候補者への宿泊費や日当、さらには裁判所のバリアフリー化、外国が被告人となった場合の通訳だけでなく、日本語でも点字翻訳や手話を行う必要もあるだろうし、裁判員を免れるために虚偽の陳述を行った者に、罰金を科すための捜査にも費用はかかる。
 国家予算は決して潤沢ではない。この制度の目的たる国民の司法に対する理解と信頼を得るには、費用のかかる制度に参加を強制しなくとも方法はあるはずである。医療、福祉、介護など生命に関わる喫緊の問題を差し置いて、この時期に税金を投入する必要があるのか再考を要しよう。

SAPIO 2007.7.11ふるさと納税は不平等 別の措置を考えよ

 理屈と膏薬はなんにでもつく。現在検討されている「ふるさと納税」もその類いである。世論は未だ意見が分かれているようなので、この制度のもっともらしい理念にだまされる前に、ひとつ問題を提起したい。租税の公平負担という見地からは、「ふるさと納税」は不平等を生じるものである、と。
 この制度によれば、住民税の一部を自身のふるさとに納めることになるが、そもそも住民税は、その地域住民への行政サービスに用いられるものである。行政サービスは住民に一律になされるのであるから、ふるさと納税をしている者としていない者が差別されることもない。つまり、住民税の納税額が異なるにもかかわらず、同じ行政サービスが受けられるのである。まさに不平等ではないだろうか。まさか、ふるさと納税者のだすゴミの1割は回収されなくなる、ということもあるまい。
 不平等な税制改革をするまえに、ふるさと地方公共団体への寄付は、税制上、優遇するなどの措置を考えてみてはどうだろうか。寄付が貰えるような魅力的な地方公共団体たる努力も、なされるようになるのではないだろうか。

SAPIO 2006.7.12 少子化は本当に「わるいこと」なのか

 出生率が1.25まで低下した。政府の少子化対策の効果に疑問をもつ声もあるようだが、その効果がでるのは10年以上先のことだろうから、この数字に驚くことはなかろう。
 ところで少子化は本当に「悪いこと」なのだろうか。少子化が問題だと言う者の大半は、年金問題と関連付けているが、その理屈は、いわばネズミ講であって、根本的解決にはならない。人口ピラミッドの裾野は無限には広がらないからだ。
 一部には、人口の多少が国力の大小に影響すると主張する者もいるが、例えば中国を見るに、人口が多ければよいというものではないだろう。わが国の人口に関しては、もっと少ないほうが良質の生活をおくることができ、国力が増大するのかもしれない。
 わが国の人口増加は地球環境にも影響を与える。今日の生活水準を維持するために、どれほどの資源を費やしていることか。この生活水準を下げる覚悟がない限り、単純な人口増加を目指した少子化対策は、有害でしかない。
 少子化対策と言うのなら、世界規模での人口調整をも視野にいれねばならないだろう。いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないことは、憲法も謳うところである。

SAPIO 2006.3.8 皇族の意見をなぜ入れないのか

 秋篠宮妃紀子さまにご懐妊の兆候があることが発表された。お子さまが男子であれ、女子であれ喜ばしいことである。しかし女性および女系天皇を容認する皇室典範改正には再考を求めたい。
 周知のように、皇室典範は、大日本帝国憲法下では、天皇家の法として、帝国議会も関与できないものであったが、今日は、通常の法律と同様、国会が議決することになっている。しかし、その皇室典範においても、皇位の順序の変更などに関しては、皇室会議が開かれることになっている。
 しかもこの皇室会議の議員として、まっ先に「皇族二人」と規定されていることは重要である。つまり、現行憲法下でも天皇家の法と言えるのだ。
 それにもかかわらず、皇位の順序よりも重大な、皇位継承の根幹を変更する行為に、一切皇族を関与させず、そのうえ、憲法や皇室典範の専門家を含まない「無」識者会議によって短期間でまとめられた報告をもって、皇室典範そのものを変更するという強行手段が許されるはずがない。もっと慎重に審議すべきである。

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